【前半・ピンクラビット緒方ゆみの物語】ようやく見つけた表現と信念のはなし。
姫路の似顔絵師・イラストレーター『Pink Rabbit』緒方ゆみです🐰✨
今回は『ピンクうさぎ展-じぶんらしく生きる-』までの道のりを、私の人生を振り返りながら記事を綴りたいと思います🐰✨
■子供のときの私、将来は漫画家になることが夢。
性格は人見知りで、友達を作るのが苦手で挨拶もまともに出来ない。
わがままで愛想がなく写真を撮られるのがキライ。幼少期の写真をみるとブスッとした表情ばかり笑。
女の子らしい格好やスカートもあんまり好きじゃなかった。
勉強も運動も苦手で…小学生の頃は特に水泳がある夏は本当に憂鬱で、朝体温を測るとき「熱ありますように」とか「なんかしんどい気がする」と思い込もうとしていました笑。
そんな私は空想や妄想、ぬいぐるみ遊び、アニメ、漫画が好き😆
なぜか「私は漫画家になる」という根拠のない自信だけはありました笑。
よくノートに漫画を描いて友だちに読んでもらったりしていました。
■中学ではソフトテニス部、そして高校でも…
とはいえ、漫画雑誌に投稿することもなく高校に入学←
「部活には入らずに漫画家になるために投稿したり、絵をもっと勉強しよう!」と思っていたのに
夏は真っ黒になるくらい部活のテニスに明け暮れていました笑。
運動は苦手だったし、中学のときも下手だったけど、バスケやバドミントン、テニスなど球技は好きでした(ドッヂは逃げまわる専門です笑)
弱小高でしたが、一応エースで部長⭐️
本番に弱く、初勝利まで1年かかりましたが、強豪高のトップと競り合ったり本戦出場まで成長することができました。
漫画を描くのはどこへやら…笑。
でも、ここでの経験がいまの私の土台となりました(またあらためて書こうかな)
■高校3年生の私、人生最初の岐路に立つ。
部活を引退してから、しばらく燃え尽きたようになっていました。進路を考える時期になったとき
専門学校に行って漫画の勉強をしたいと思いました。
母に伝えたら
「漫画家なんて、、ゆみ〜そんなの無理やで(金銭的にも)」
と言われ
「私にはこれしかない」
って、わんわん泣きながら懇願しました。
テニスばかりしていたのにね笑。
両親からだけでなく祖父と祖母に入学金や授業料を援助してもらったおかげで、無事に専門学校に通わせてもらいましたm(__)m
(交通費や学費の一部はバイトして払ってました^^)
■18歳、専門学校から漫画家を志す道へ。
漫画で表現したいこと。
どんな想いを届けたいとか、実はわからなかった。
“人のつながりとかを描いてみたい”
と漠然と思っていたけど
なんとなく絵柄的にも少女漫画を描いていました。
東京の出版社に持ち込みに行ったり、課題に追われたり、学生生活満喫して
あっという間に2年の専門時代は過ぎていきました。
■賞を取るも行き詰まり、恋は終わり。モノクロの世界に。
テニスコーチや飲食店で働きながら、漫画を投稿していて
たしか、21歳のとき
某有名少女マンガ雑誌の奨励賞をいただきました!😳✨
でもそのとき、それ以上行けない気がしていました。
その賞をきっかけに、編集部主催の勉強会に招待してもらったけど、チャンスを物にできませんでした。
後々、奨励賞でも担当さんが付くようになりました(それまでは奨励賞より優秀作品だけ)
にっちもさっちもいかなくなって、上位に入っても奨励賞以上は取れない。
年齢は25歳くらいになっていて。
長く付き合っていた人ともうまくいかず、別れ…
やる気も起きなくなって、無気力な日々。自分の価値のなさ。
どんどんネガティブになっていました。
■27歳、ひとすじの光。可能性の扉を開くとき。
もう漫画を描くのはやめよう、諦めようと悩んでいた頃。
高校のテニス部の顧問だった恩師の助言もあり
ふと以前友人に頼まれて描いた似顔絵を思い出しました。
が!
めっちゃこの記事長いですね。。写真もないし。。しかも、まだまだ続くんですよ。。汗
読んでくれた方ありがたい。。>_<
続きは次の記事にて!✨✨
・
★ピンクラビット活動は以下より
・
【個展のご予約状況はこちら】
https://pinkrabbit-world.com/2020/10/25/
【個展に関する記事一覧】
★『ピンクうさぎ展-じぶんらしく生きる-』のご案内。
https://pinkrabbit-world.com/2020/09/02/
★個展の人数制限と予約優先について。
https://pinkrabbit-world.com/2020/10/21/
★なぜそこにこだわるのか?コロナ禍だからという理由以外の想い。